有恒会の名称の由来

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●アンケートにより希望の多かった「有恒会」なる名称は、1926年(大正15年)創立の有恒倶楽部の存在を切り離しては考えることは出来ない。有 恒倶楽部の誕生は、市立大阪高等商業学校同窓生社交機関として1907年(明治40年)に設立された「大阪高商倶楽部」に淵源があるが、間もなく1910 年(明治43年)頃一旦解散する。その後大正末期に再び同窓生の社交機関結成の機運が高まり、1926年(大正15年)3月「大阪高商関係者社交倶楽部」 と仮称して創立事務がすすめられた。その後「浪速倶楽部」と改称して引続き会館の選定に着手したが、野村徳七氏(本科明治26年卒)のご好意により大阪市 東区備後町2丁目野村ビル(現大和銀行の本店の旧ビル)を会館として提供を受けて1926年(大正15年)11月開館の運びとなった。

●その当時、大阪商業講習所時代の所長であった山本達雄氏に依頼して創立総会当日に有恒倶楽部と命名された。有恒倶楽部は、戦中戦後の苦難を経て1960年(昭和35年)社団法人有恒倶楽部として発足、1990年(平成2年)野村ビルの改築のときに第二野村ビル(備後町2丁目)に移転し今日に至っ ている。

●以上の如く大阪高商、大阪商大の卒業生にとって極めてゆかりの深い倶楽部で、その結果「有恒会」なる名称の希望が多くなったと考えても自然である。

●なお、「有恒」なる文言は、孟子の「無恒産而有恒心者惟士為能」から採ったものであって、「恒心有るものの集まり」を意味したものである。

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